(这首译词本来已在休闲做为陈菲MM《秋止符》的跟贴登出,现在看不见了。略加补充,转到这里,可惜那动人的歌声不再) 时光荏苒,忽然发现谷村新司也快六十岁了。谷村是日本流行音乐界七十年代兴起的“新音乐”的象征性人物,集作词、作曲、歌唱于一身。他最为中国人所知的作品,大约是《星》(日文原名《昴》),而我更喜欢《在晴日踏上旅途》(日文原名《いい日旅立ち》)。这首歌是山口百惠的名曲之一,而谷村自己唱的版本反倒流传不广。谷村的歌唱,安安静静的,并不特出,但毕竟是诠释自己的作品,别有韵味。 这首《秋止符》作于谷村还是阿里斯一员的时代,由谷村写词、堀内孝雄作曲。无论歌词还是旋律,都极具七八十年代的含蓄与婉转。译出那种淡淡忧伤真的很难,我只是尽力译得忠实原文而已。 秋天的休止符
用右手摹仿 左撇子的你信上的字迹 怎么也不能写满 白纸上一行行的空隙 曾经淡淡地感觉 这份好象友谊的记忆 超越了男女之情 不仅是一瞬间的眩丽
夏日的故事如果没有发生 快乐的时光一定还在继续 然而,今年秋天似乎会很长 漫长得无边无际
曾经捧着梦走进都市 却两手空空地归去 在不寐的夜晚,你打开心扉 带给我柔和的心意
曾经这样开始 当我们坦诚相待身心如一 但是,我不说那是爱 那不能说是爱,对于你
夏日的故事如果没有发生 快乐的时光一定还在继续 然而,今年秋天似乎会很长 漫长得无边无际
当春季的雷雨还没有来临 温暖的风还不曾吹起 我想,又怎能往前走? 如果不脱下沉重的冬衣
附上原词: 秋止符 作詞:谷村新司 作曲:堀内孝雄 左ききのあなたの手紙 右手でなぞって真似てみる いくら書いても埋めつくせない 白紙の行がそこにある 友情なんて呼べるほど 綺麗事で済むような 男と女じゃないことなど うすうす感じていたけれど あの夏の日がなかったら 楽しい日々が続いたのに 今年の秋はいつもの秋より 長くなりそうなそんな気がして 夢を両手に都会に出て 何も掴めず帰るけど やさしさの扉を開ける鍵は 眠れない夜がそっと教えた 心も体も開きあい それから始まるものがある それを愛とは言わないけれど それを愛とは言えないけれど あの夏の日がなかったら 楽しい日々が続いたのに 今年の秋はいつもの秋より 長くなりそうなそんな気がして 春の嵐が来る前に 暖かい風が吹く前に 重いコートは脱ぎ捨てなければ 歩けないような そんな気がして |